2012年5月30日水曜日

物語は動きだす。

昨晩は割と早く寝たにも関わらず、
移動の疲労もあってか今朝目覚めたのは8時過ぎだった。
顔を洗い、
歯を磨き、
洗濯したての服を着て、
朝食でも食べに行こうと宿を出た。

どしゃぶりだった。

行動する気が0になった。
部屋に戻ってfacebookを開いてみる。

だれも更新していない。

もう1回だけ外に出てみる。


強くなってた。

宿から30歩くらいの所にパン屋発見。
考えるより先に体が動いた。

たまごのサンドウィッチとツナのサンドウィッチと水を買って宿に戻った。
全部で6RM。(約150円)
どちらも噛めば噛むほどマーガリンの優しい味が口の中に広がる。
うまい。
次は20歩で行こう。

水のキャップには
Let's pray for japanと書かれていた。

そろそろ歯医者でも行こうかとネットで場所を探す。
住所をメモり受付のゲイの宿主にこれはどの辺かと聞いた。

「めっちゃ遠いよ。この辺に歯医者いっぱいあるよ。」
といって3箇所ほど地図を書いてくれた。
腕のいい所か、安い所か、近い所か、、、

イチバン近い所にした。
雨降ってたし。
その時は止んでたけど。

歩いて2分の所だったから予約なしにぺーっと行った。
迎えてくれたのは黒人の美人なおねーちゃんと、イスラム教の女性2人。

「歯を治したいんですけど、予約いりますか?」
必要ないという事なのでそのまま待つ事にした。

ここの待合室は日本の歯医者の待合室をもっとシンプルにした感じだった。
診察室からさっき入っていった現地の子供の悲鳴が聞こえる。
ちょっと笑ってしまった。

20分程でボクの番になり診察室へ通された。

そこは、ボクが小さい頃に通っていた歯医者そのものだった。

3種類しかない針。
全く調整ができない診察台。
間接照明みたいな光でボクの歯を照らそうとする心構え。

まぁいいと。
ちゃんとやれるんなら別に文句は言いません。

プラスチックで1年誤魔化すか、(40RM)
ちゃんと治療して安心して暮らすのか。(600RM)
まずどうしたいのかという話になった。

そこはもちろん、
「安心して暮らすのだ。」
と言った。
内心は
「あれ?めっちゃ高い、めっちゃ高い。」
と思ってた。
「他の歯医者はこれよりも高いからお前はラッキーだ」
と歯医者は言う。続けて
「彼女に聞いてみな。」
と助手を指差して言った。
肯定するに決まってるので無視した。
「だから他の歯医者には行くな。」
とも言われた。
オッケーわかったよと伝え治療開始。

新しい歯を作るだけなのに何故か麻酔をし、
削り、つばを吸い上げ、しばらくほっとかれた。

びっくりした。
この国の人はうんこしたあと左手でケツ拭いてるのに
治療を素手でやるんだもの。
白衣も着ない。
マスクもしない。


5分くらいほっとかれて
医者が知らないおっさんに話しかけてる。
「麻酔効いてて痛くないでだいじょうぶ。可能。可能。」

そして知らないおっさんがボクの歯を治療し始めた。
「わお。」
心の中でたくさん言った。
痛くないけどものそい怖い。

挙句の果てに、
「忙しくなってきたで、一旦帰ってくれん?」
て言われた。
「おらあ」
心の中の獣を解き放ちかけた。

事なかれ主義のボクは40分後にまた戻ってくる事になった。


待合室に戻ると受付のおねーちゃんがマックのポテトを食べながら出迎えてくれた。
すぐ診察室に通され、またあの知らないおっさんがボクの治療を始める。

助手たちは彼の事を「アンクル」と読んでいた。

手際の悪さ、技術の無さ、それに対する自分への舌打ち。
間違いなく彼は素人の「アンクル」だと確信した。

なんとか義歯を入れお会計。
受付では無くここで支払えと言われる。

「歯が出きるのは1週間後。午後にきて。いい?」
全額の半分、300RM支払ったがボクは見逃さなかった。
彼が数枚自分のポッケに入れる瞬間を。

この府に落ちない感じがどうしても嫌だった。
気がつくとボクは昨日のレゲエバーでカールスバーグを頼んでいた。

麻酔をしてから4時間、
ボクの左側の口からはまだカールスバーグが滴り落ちる。




ありがとう。                       ふみ






クアラルンプールへの想い。

~ボクは歯を治します。~

という何の覚悟も夢もない心構えで
シドニーからクアラルンプールに来た。

飛行時間が8時間30分かかるって気づいたのは
飛行機に乗って3時間くらい経ってからだ。
めっちゃ遠い、、、
インドネシア辺りにしとけば良かったと3秒程思った。
でもそんな事考えても何も変わらないのでその思考はすぐやめた。

クアラルンプールに着いて、飛行機から1歩外にでた瞬間
熱風がボクを包んだ。
着ていたパーカーをやや強引に脱ぎ、
巻いていたマフラーをはずし、チカラいっぱいバックパックにねじ込んだ。
時計の針は17時30を指していた。

空港から出てすぐにバスを探した。
すぐ見つけた。
8RM(250円くらい)だった。

1時間15分くらい走った。
途中、風景を楽しもうと窓の外に目をやった。
外には、南国に生えてる樹がずーっと、ひっきりなしに、ぶわーって並んでる。それしかない。
すぐ飽きてしまった。
あと南国特有のめっちゃクーラー効かせるおもてなしに
若干体調を崩した。

結局クアラルンプールの都市に着いたのは、
19時30分くらい。
辺りはまだ明るい。
何時に暗くなるかも分からない。
バスで隣に乗ってた現地の人に聞いても笑って誤魔化される。

都心に着いたものの右も左も分からない。
セキュリティの人にチャイナタウンは遠いかと聞いた。
チャイナタウンにバッパーが多いっていう情報だけボクは持っていた。
歩いて30分くらいだと言う。

前日はシドニーの空港で野宿した為、疲労も溜まっている。
こういう時、ボクはぺーっとタクシーを使う。
チャイナタウンまでは10RM。
悪くない。

使った。
途中インド系の人が相乗りしてきた。
運転手とその人で英語でマレーシアの政治家について話し、盛り上がっている。
全く聞き取れない。
オーストラリアの方が全然聞こえる。

そんな事を考えてたら、
「おい、ヤングボーイ。英語はできんのか?」
と聞かれた。
英語は世界共通語。
「話せない。でもなんとなくは分かる」
とだけ伝えた。

運転手「まあ旅してるんならうまくなるよそのうち。」



チャイナタウンに着き、
2人から「今晩は楽しめよ。」
と見送られた。

まず泊まる所をさがさな。
チャイナタウンを1周してみた。
活気の無いカオサンみたいな感じだった。

暑いし、疲れたし、訳がわからんくなったので、
イチバン活気づいてたレゲエバーに入って、ビールを1杯頼んだ。
 

南国特有のクーラーめっちゃ効かせるおもてなしにやられ、
5分程で2本のタバコとビール1杯を飲み干し、ボクはその店をそそくさと出て行った。

3件バッパーを見つけ、
値段と雰囲気を照らし合わせ、
1泊 ドミトリーで 15RM(500円くらい)のところに決めた。
その頃にはすでに3ℓくらい汗をかいていた。

荷物を置きシャワーをあびて街をもう一度周って、
やっぱり活気がないカオサンだ。と思った。
そんでご飯も食べずビールを飲みにまたレゲエバーへ。
屋台にはビールもなく、コンビニにしかなかったので。

ジャックダニエルを頼んだ。16RM。
疲れで酔いが完全にまわってたから部屋に戻りすぐ寝てしまった。
歯はちゃんとみがいた。



その夜、夢を見た。

日本にいる友達や、オーストラリアに居る友達が、
ボクに攻撃的な言葉を投げかけてくる夢。
彼女のあやちゃんですら。

タイにいった時も、なんならオーストラリアでも、
どうも新しい土地に足を踏み入れた日はネガティブな夢を見る。

その夢でボクは
「あぁ、次のステージか。」
と感じる。

初日はこんな感じでした。


追伸 ビールは他の物価に比べて異様に高かった。


ありがとう。                      ふみ 




2012年5月18日金曜日

好機じゃないならなんなんだ?

前歯がシリアルバーによって取れて早4ヶ月。

最初は人前にでるのも恥ずかしく、
笑えないストレスを溜めてばかりいた。
それは、人前でチンコを出せないでフラストレーションが溜まるのと同じように。

でも前歯が取れたおかげでボクはタイに行く決意がついた。
タイで治療する決意がついた。
最初はシンガポールかマレーシアで迷ってた。
なんならマレーシアに決めてた。
でもタイにいる幼稚園から一緒の「たーぼ」がタイに誘ってくれて、
いこかなーって。

まずうれしいのが、
歯を治す為だけに海を渡る決断をスッと出来るようになった事。
日本にいたらこの感覚は永遠に味わえなかっただろう。
シドニーからタイ(バンコク)までは$500くらい。
これは関空からバンコクへ渡るコストとほとんど変わらない。

日本から海を渡るという決断はなかなか難しい。
保守的な人なら尚更。
もちろんみんな仕事もあって、家族もいるだろうし。
でも絶対に気軽に海を渡る感覚を養うべきだとボクは強く言いたい。
これから日本は破綻に向かう。
国はもちろん、会社も何もかもがぐちゃぐちゃになる。
ホームレスがびっくりするくらい増える。
何故、今売れっ子の日本企業が世界を市場にするのか?
イケイケなのはもちろんだけど
日本市場の限界、
そしてこれからは世界を飛び回るのが当たり前の時代になるからだと思います。
その時、一般市民のボクに必要なのは、その場しのぎのお金なんかじゃなくて、
自分の未来を切り開けるだけの感覚とパワーだとボクはひしひしと感じる。

もうみんな気づいてるはず。
積み木をしてて、でも飽きたから「ぺーっん」てする子供みたいに、
日本国は日本を見離す。
いやすでに見放してる。


錯覚に陥ってる。



震災前と変わりない。




FBで食べ物をアップしてる人がいる。
「そうしたほうがみんなリアクションしてくれるし」って。
個人の自由やしボクがとやかく言う資格なんてないかもしれない。
ただその食べ物ってどこで作られてどうやってそこにあるのか。
それを考えた上で載せてほしいとボクは思う。
「原発反対!」って言ってる人が
放射能をまんべんなく浴びた土で育てられた野菜、肉を
「どや?うまそうやろ?」
みたいに載せられても萎える。
その人が可哀想だとさえ思う。
FBで食べ物をアップしてる人は日本人を始め、
肉料理が郷土料理のアジア圏だけだと言っていい。
日本人にいたっては魚がお国柄なはずなのに、
アメリカナイズされてそうなってる。

世界を変えたいなら、
世界を平和にしたいなら、
まず食生活から変えるべきだ。
マックはもちろん、コンビニ、吉牛、コーヒーショップなど、
金持ちが儲かるような所には行くべきじゃない。

貧困を嘆いている人を助けたいなら
貧困を世界から無くしたいなら、

まず食生活を変え、お金をこの地球から無くす努力をするべきだ。
こんな簡単な事をせずに、

「どうやったら戦争がなくなるか」
「どうすれば地球温暖化を食い止められるか」
「どうやったらお金を儲けられるか、、、、」


タイで出会ったラオス人にこう言われた。
「日本はアジアではトップやし、これからひっぱってってくれんかな?」
ボクには荷が重過ぎる言葉だった。
それでも何か出来たらと、
少しでも多くの人に響いたらと、
『今』、伝えさせて頂いてます。




ボクが初めて海を渡ったのは25歳の誕生日を迎える3ヶ月前。
インドネシアへと向かった。
遅い。
初めて海を渡るには遅い。
と思っていた。

まず海外に偏見があった。
「行った。すごいやろ?」
特にアジアは、かぶれた日本人が自己満足の為に行ってるんだと思ってた。
結果は予想もしてないくらいボクに好影響があった。
現地の人々の暮らし。
観光で生計をたててる国なんだと肌で感じた。


そして27歳。
ボクはひょんな事からオーストラリアへ導かれた。
海外での腰を据えての生活。
不安しかなかった。

お金を稼ぎながら生活して楽しむ?

それって日本と同じ事しろってことやが。
しかも言葉が通じんくて友達もえん土地で。

結果、
一時、
全財産$11になった事もあったけどなんとかなってます。
飛び出せば何かあるし、何とかせなあかん。
そう、何とかなるんです。

1年と8ヶ月、ボクは日本を離れています。
震災も肌では感じていません。
ただ日本政府がとった行動は確実に間違ってます。
国民の、
「被災地に何かしたい」
って気持ちを利用しての計画停電。
そして
「やっぱり電気は必要でしょ?」
っていう計画的犯行。
他の対応は遅いのに、その対応だけが異様に早すぎた。
もうお金しか見えてない行動。

日本は昔、突出した独自の技術を武器に世界への道を切り開いていったのに、
今は世界のいいなり。
嫌われないように。
みんなの顔色をうかがって。
グループから「ハミ」にされないように。

更には、最近浮上した
「政府にとって不利な事は秘密にしていい法律?」
やりたい放題。


不満を言うだけでは何も変わらない。
行動に移さないと。

これはボクが日本政府に、
いや世界政府に少しだけタテツイた数回目のブログです。





ありがとう。                      ふみ




2012年5月2日水曜日

ニート?英語では素晴らしいって意味です。

生きてく強さを重ね合わせ

愛に生きる。

努力が実ればそうたやすく

もう迷わない。






どうもナカニシです。

完全に迷ってます。
ここmundubberaでニートまっしぐら。




もう飲むしかない。

飲むかスカイプしかない。



オーストラリアのニート軍団。

勢いはあるけど仕事がない。



明日みんなでfarmあたってみます。







ありがとう。                          ふみ